ドラブロ ーバス運転士の徒然日記ー

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JR福知山線脱線事故から17年を迎えました

2022年4月25日(月)にJR福知山線脱線事故から17年を迎えました。
今年は新型コロナのまん延防止措置や緊急事態宣言も発出されていないため、3年ぶりに追悼慰霊式が行われました。

JR福知山線列車脱線事故現場に整備された「祈りの杜」

JR福知山線列車脱線事故現場に整備された「祈りの杜」(画像:西日本旅客鉄道株式会社)

www3.nhk.or.jp

107人が死亡したJR福知山線脱線事故から25日で17年です。ことしは新型コロナの影響で去年まで2年続けて中止されていた追悼慰霊式が行われ、遺族たちが犠牲者に祈りをささげました。

17年前の平成17年4月25日、兵庫県尼崎市でJR福知山線、通称、宝塚線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路沿いのマンションに衝突し、107人が死亡、562人がけがをしました。

現場に設けられた追悼施設「祈りの杜」では、新型コロナの影響で中止していた追悼慰霊式が3年ぶりに行われました。

式には遺族やけがをした人たち、それにJR西日本の関係者など244人が参列し、はじめに全員で黙とうをささげました。

このあとJR西日本の長谷川一明社長がおわびと追悼のことばを述べました。

この中で長谷川社長は「皆様、お一人お一人の大切な人生を私たちが一瞬にして奪ってしまい誠に申し訳ありませんでした。どれだけ時間が経過してもどれだけ世代交代が進んでも私どもとしてこの事故を風化させることはございません。事故の重い反省と教訓を継承し続け、強い使命感を持って安全性向上の取り組みを一歩一歩着実に進めてまいります」などと述べました。

このあと遺族など参列者が慰霊碑に向かって順番に献花を行いました。

「祈りの杜」では午後5時から近くに住む人など一般の人たちによる献花が行われています。

記事引用元:NHK

事故があった2005年4月25日(月)当時、僕は高校3年生になったばかりで、教室の窓から報道機関のヘリコプターが飛び回っているのを見て、何事かと思ったことを覚えています。
お昼休みの前に、クラスメイトが「電車が脱線したらしい」ということを教えてくれて、昼休みにニュース映像を見て衝撃を受けました。

この17年間でJR西日本に対する見方は変わったか?

今年の脱線事故関連のニュースで印象に残ったのは、遺族の方々の「JR西日本は何も変わっていない」という言葉です。
特に、岡山駅で2020年6月に発生した、回送列車の入庫作業のために待機するホームを勘違いし、入庫が遅れたことに関しての賃金カットについては、訴訟で男性運転士が勝訴したものの、ミスを厳しく責める企業体質が脱線事故の遠因になったと指摘されてきただけに、遺族の方々にとっては「なぜ」との思いが強かったようです。

mainichi.jp

JR西日本岡山支社の50代男性運転士(病死)が回送列車の出発を1分間遅延させるミスをしたことを理由に、1分間分の賃金など56円が支給されなかったのは不当として、JR西に未払い分や慰謝料など計約220万円を求めた訴訟の判決で、岡山地裁は19日、56円の支払いを命じた。慰謝料の請求は棄却した。

奥野寿則裁判長は、JR西が乗務員らに指示していた業務の内容に反する誤りや遅延があった場合、正規の業務内容へ修正するための行動も「業務の遂行に向けた一連の労務」に当たると判断。男性は自らミスに気付き、直ちに所定の業務内容に修正するべく行動したとして1分間の遅延も労務に当たり、賃金支払いの対象になるとした。

男性が受けた不利益は少額で、賃金が支給されれば回復されるとして慰謝料は認めなかった。

JR西はミスが運行の遅延などにつながった場合、その分を欠勤扱いとし、処分の対象にしてきた運用を3月に見直した。運用の見直しに今回の訴訟は影響していないとしている。JR西は「判決内容を真摯(しんし)に受け止める」と控訴しない方針。

判決によると、男性は2020年6月、JR岡山駅で回送列車を車庫に入れる業務を指示された際、列車を待つホームを勘違い。当直係長に電話をするなどして直ちに正しいホームに駆け付けたが、乗り継ぎの開始が約2分遅れ列車のホーム出発は約1分遅れた。

JR西は当初、乗り継ぎが遅れた約2分間分の賃金85円を不支給としたが岡山労働基準監督署の是正勧告を受け、出発が遅れた約1分間分を不支給とした。

男性は昨年3月に提訴。JR側は未払い分と遅延損害金のみを支払う内容で和解を提案したが成立しなかった。男性は今年に入って病死した。

記事引用元:毎日新聞

news.yahoo.co.jp

「JR西は何も変わっていない」。2005年4月のJR福知山線脱線事故で妻を亡くした男性(65)=兵庫県西宮市=は落胆の声を漏らした。男性運転士が岡山地裁に起こした訴訟では、JR西日本が1分間の出発遅れを理由に賃金をカットしたことが明らかになった。ミスを厳しく責める企業体質が脱線事故の遠因になったと指摘されてきただけに、男性には「なぜ」との思いが消えない。

国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)の調査報告書(07年)によると、脱線した快速電車を運転していた高見隆二郎運転士(当時23歳)は事故直前に駅でオーバーランを起こし、ミスを少なめに報告するよう車掌に依頼。車掌が無線でどう報告するかに気を取られ、ブレーキ操作が遅れたとされる。

高見運転士が以前から恐れていたのが「日勤教育」と呼ばれる懲罰的な再教育だ。高見運転士は過去3回、日勤教育で長時間、反省文を書かされたり、叱責を受けたりしていた。事故調は「技術的な内容が不足し、一部の運転士にはペナルティーと受け取られていた」と厳しく批判した。

JR西は事故後、安全対策の柱として日勤教育の見直しを掲げ、16年4月には事故やミスで列車の遅延が起きても社員を処分しない「非懲戒」制度を導入した。

しかし、岡山地裁の訴訟では、運転士が待機場所を間違えたというささいなミスで不利益な扱いを受けた。遺族の男性は「本来なら注意で済むことを罰する体質は変わっていない。問題が起きた時に会社側と乗務員でコミュニケーションを取って解決することができていないのではないか」と疑問を投げかける。

25日で最愛の家族を失って17年になる。毎月の月命日に現場で手を合わせてきた。「同じ事故を繰り返さないためにもおかしいと思うことには声を上げたい」

記事引用元:毎日新聞

JR西日本京都支社では「語り部」が当時の体験を語り継ぐ

JR西日本京都支社では、事故当時の体験を語り継ぐ「語り部」と呼ばれる社員が活動しています。

www.sankei.com

乗客106人が死亡した平成17年のJR福知山線脱線事故は、25日で発生から17年を迎える。JR西日本では事故後に入社した社員が約6割となり、教訓の継承が喫緊の課題だ。懲罰的な「日勤教育」といった事故の背景要因を肌で感じてもらうため、事故前に入社した社員が「語り部」として、若手社員に当時の体験を伝えている。

「折を見て運転席からお客様のほうを振り返り、何千人もの命を預かっていることを感じてください」

今月10日、滋賀県米原市の会議室で米原列車区の係長、大塚智之さん(37)が若手の運転士や車掌にこう語り掛けた。

同列車区を管轄する京都支社では、令和元年秋から職場ごとに「語り部」を指定。約90人の運転士を指導する立場の大塚さんは昨年7月からその役目を担い、事故現場にある追悼施設「祈りの杜(もり)」などで10回ほど講演した。

事故発生時は入社3年目。別の路線の車掌で、事故に直接は携わっていない。ただ、「JRの常識は世間の非常識」ともいわれた当時の社内風土はまざまざと味わった。

標識のライトを付け忘れるミスをした際、電車に乗る業務を数日間禁じられてリポート作成を命じられた。同期の車掌は扉の開閉のタイミングを誤り、周囲から丸見えの場所で社内規定を繰り返し紙に書き写す作業をさせられた。見せしめのようで、「ミスをしても隠そうと思ってしまった」。

発生当日も、萎縮した現場の弊害は表れていた。昼から出勤予定だったが、報道で事故を知り、慌てて職場へ向かった。しかし、その職場では「担当線区ではないと、ひとごとのような雰囲気」が漂っていた。

平成19年に公表された事故の調査報告書では、事故を起こした運転士=当時(23)=が前の駅でオーバーランし、日勤教育を懸念するあまり運転から注意がそれた可能性が指摘されている。この運転士は過去に3回日勤教育を受け、ミスの原因を問う上司から「仕事をなめているとしか考えられない」「精神鑑定されるぞ」と詰問されていた。

事故後、こうした指導が問題視され、JR西は乗務上のヒューマンエラーを懲戒対象から除外した。大塚さんも後輩にささいなことでも報告を求め、「報告ありがとう」を口癖にしている。

そうした取り組みはなぜ必要なのか。当時を赤裸々に明かすことで、導入された対策の本質を若手社員が理解し、事故の再発防止につながると考える。

事故後しばらくは、乗客らからの刺すような視線を感じながら勤務した。事故を起こせばどれほど信用を失うか。それを身をもって知る大塚さんは、「運転士の職責は電車を動かすことより、止めることにある」と訴える。異変を感じたら躊躇(ちゅうちょ)なく電車を止めることができる運転士を育てるため、語り部を続けていくという。

記事引用元:産経新聞

この活動は、脱線事故以降に入社してきた社員が6割を超えることから、当時の体験をきちんと伝えることで、導入された対策の本質を若手社員が理解し、事故の再発防止に繋げようという目的があります。

日勤教育が当たり前の環境で過ごしてきた先輩社員からすれば、今の若手社員の環境はとても恵まれたものに見えるでしょう。
しかし、「JRの常識は世間の非常識」と言われたように、そもそも当時のJR西日本の体質があまりにも異常だったということです。

毎年、このJR福知山線脱線事故の報道を見るたびに、自分も多くの人の生命・財産を預かって仕事をしているんだという思いを強く心に刻んでいます。
既に事故から18年目がスタートしていますが、今年も一年安全に対する意識を強く持って、乗務に臨んでいきたいと思います。